福野って?

福野って?
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市場町 福野
南砺市福野地域(旧福野町)は、
古くから南砺地方の交易の
中心地にある「市場町」として
発展してきました。

福野は散居村で有名な
砺波平野のほぼ中央に位置しています。

 

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美しい自然 おいしいお米
肥沃な土と豊富な水に恵まれた穀倉地帯が広がり、水田化率が高く良質な福野米の産地として知られる福野町。里いもづくりも盛んで、大正時代からいち早く取り組み、現在では特産品として多くの生産量を誇っています。
 

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菊づくり
お隣の砺波市などと並ぶ
チューリップ球根の産地でもあり、
電照菊の栽培が盛ん。
毎年11月には、北陸三県の
菊づくり名人の作品を一堂に集めた
「南砺菊まつり」が開かれます。
1991年には全国菊花大会が開催されるなど、
晩秋を飾る富山県の風物詩として、
なくてはならない年中行事となっています。
 

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“音楽は世界をつなぐ”
地方からの情報発信を目指し、
1991年3月に福野文化創造センター
(愛称:ヘリオス)が誕生しました。
これを契機に、世界各国から
民俗音楽集団を招いたフェスティバル
「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」が
毎年開催されています。
 

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春の祭り 師走の風物詩
福野と言えば、5月の春の宵の「夜高祭」。
“ヨイヤサ、ヨイヤサ”の掛け声と共に、
高さ7mにも及ぶ大行燈が
町内を練り回る姿は圧巻です。
また、師走には 350年の歴史を持つ
「歳の大市」があります。
店先には正月用品や野菜、
木工品などがいっぱいに並び、
土の匂いと素朴な人情が
福野を行き交います。

 

 

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福野の歴史

南砺市福野地域(旧福野町)の古代については、史料が備わらず定かではないが、有史以前に庄川が氾濫して本町地区の大部分を奔流したことは地層をもって証することができる。
天武天皇9年(681年)にはじめて律令国郡の制定があって越中の国名が史上に散見し、養老2年(718年)に安居寺が善無畏三蔵によって草創したと伝えられている。
本町の中心部は昔の野尻郷の一部で野と呼ばれ、福野の地名は、野に福があるように念願して、福野となったと伝えられている。慶安3年(1650年)この地に町立ての許可があり福野の地名が発祥し、市の日を2と7の日に定め、市場の発展を通じて町が形成された。 現在の福野町は、昭和16年に福野町、南野尻村、広塚村及び野尻村が合併し、旧福野町が設置され、昭和29年には、福野町と東石黒村が合併し、その後、昭和32年に西野尻村の一部、昭和about06.jpg34年に高瀬村の一部を編入し、現在に至っている。

砺波地方の交通の中心地としての利便性や、伝統産業である繊維工業を中心に発展し、近年では積極的に企業誘致をはかるなど、農工商調和のとれた発展を続けている。

 

 

福野のあゆみ

昭和16年 一町三村が合併、新しい福野町設置
昭和24年 開町300年祝賀会、福野中学校落成
昭和27年 福野厚生病院開設
昭和29年 東石黒村・西野尻村・高瀬村と合併(〜34年)
昭和44年 統合福野小学校・町民体育館落成
昭和47年 香川県多度津町と姉妹都市宣言
昭和50年 ほ場整備事業完了、住民情報コンピュータ化、南砺消防庁舎落成
昭和53年 町営バス運行開始、デマンド化採用
昭和57年 地区公民館6館完成
昭和63年 B&G海洋センターオープン
平成3年 合併50周年、福野文化創造センターオープン
平成5年 北海道中札内村と姉妹町村締結、
福野ショッピングゾーンオープン
平成9年 福野町園芸植物園完成
平成16年 8町村が合併し、南砺市となる

 

散居村とは

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庄川の田園地帯の農家は、それぞれが100〜150メートルずつ離れて点在している。これは、近世初頭からの用水設備によって、田畑の管理を容易にするために広まった村落形態だといわれている。
各散居民家の西南にはカイニョ(屋敷林)が設けられている。カイニョ(屋敷林)は点在する民家を風雪から守るために植えられてる林のことで、杉やケヤキなどがその中心となっている。
近年は、散居民家も生活様式の変化によって数が減少しつつあるが、行政による保全の動きも見られる。
また、その景色の美しさも有名で、とりわけ田植えの時期、田んぼの水面が、徐々に夕暮れの色に染まっていく様子には、誰もが言葉を失う程である。
※カイニョとは…一説には加賀藩に対して年貢の石高を少なく見せるため、民家を散らばめたと言われている。

 


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