ふくみつじょうし せいかえん
平安時代の末期に砺波地方を支配した石黒氏によって福光城が築城されました。文明13年(1481)に井波瑞泉寺周辺に集まる一向宗徒との争いに敗れ、福光城は焼亡したとされています。明治元年(1868)までに、その城域内に金沢の茶人桑原棟宣監修の栖霞園が完成していました。昭和34年(1959)に、その文化的価値が認められて指定文化財に指定されています。現在はお茶会が開催されるなど住民の憩いの場として利用されています。