モデルコース

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り
レトロな街並みが魅力の福野へ!
富山県最古の駅舎「福野駅」や、県内で唯一現存する明治期の学校建築「巖浄閣」。さらに、日本近代建築の名作を数多く手がけた建築家・吉田鉄郎の出身地としても知られています。そして、350年以上の歴史を誇る迫力満点の「福野夜高祭」など、歴史と文化が色濃く息づくエリアです。
ディープな歴史を辿る、マニアックな街歩き。住宅街の狭いとおりを歩くので、観光ガイド(※本文末尾参照)と一緒に巡るのがおすすめです。
所要時間
150分(巖浄閣の中を見学しない場合は120分)
交通手段
徒歩
コース
【===バス ・・・徒歩 ++++レンタサイクル】
福野駅・・・巖浄閣・・・加賀藩福野御蔵跡・・・子安地蔵・・・福島の不動尊・・・恩光寺・・・福野神明社・・・銀行四つ角高札場跡・・・旧山田邸・・・朝山精華堂(土産)・・・福野縞工房(土産)・・・西方寺 旧授眼蔵図書館・・・福野駅
START
10:00

福野駅

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

 駅舎は開業当初から使われている現役の木造駅舎です。1972年までは加越線が接続しており、県西部の交通の要衝として機能していました。

  基本情報
南砺市松原新1767
✆0763-22-8700
※併設の観光案内所に常時係員はおりません。御用の際はお電話をお願いします。

徒歩8分

10:10

巖浄閣

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

 旧富山県立農学校本館である巖浄閣は、コロニアル様式の木造2階建て校舎。桜色の外壁が青空に映え、築100年以上の歴史とノスタルジックな雰囲気を醸します。地元資産家・島巖が建設に尽力し、明治42年には皇太子の御座所に。内部展示や造作で当時の姿が伺えます。(見学目安30分)

※見学の際は、富山県立南砺福野高校の事務室をお尋ねください。

  〒939-1521 南砺市苗島453

詳細はこちら

徒歩7分

10:45

加賀藩福野御蔵跡

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 現在の福野中学校の敷地には、元文5年(1740年)に建てられ、明治期まで加賀藩の町蔵として使用されていた御蔵がありました。明治時代には、福野小学校の校舎や県の教員養成校としても利用されました。現在は、立て看板のみがその跡を示しています。

 

  〒939-1561 南砺市福野1339(福野中学校正門そば)

徒歩3分

10:55

子安地蔵

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 明治の中頃、真夜中になると泣き声が聞こえ、その泣き声が止まらなかったため、地蔵菩薩像を作ってもらい、夜泣きが聞こえる方角に御堂を建立しました。そして、お経をあげて供養をしたところ、不思議と夜泣きがぴたりと止んだそうです。

御堂は小ぶりながらも町の宮大工、佐々木嘉平による造りで、台座の石組みもお堂に調和した丁寧な仕上がりとなっています。彫刻は井波の野村清太郎氏(銘は「清雲」)の手によるもので、その見事な出来栄えが際立っています。

本像は庄川産の金谷石で作られており、作者は不詳です。

 

  辰巳町会館そば

徒歩3分

11:05

福島の不動尊

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 地元の料亭旅館「福島」のご先祖には、四股名を「福島」とした茂吉という人物がいました。慶応3年(1867)、茂吉の門弟たちが供養碑と守本尊の不動尊を並べて建立しましたが、その後、道路拡張に伴い石碑は現在の場所に移転し、不動尊とは離れてしまいました。不動尊の西隣にある浄土宗蓮生庵の庵主が、夢の中で「不動様が雨露にさらされないようにお堂が欲しい」というお告げを受けたといいます。不動明王は58センチメートルの座像です。

徒歩5分

11:15

恩光寺 

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

 曹洞宗の寺院で、開祖は応永10年(1403年)または応永15年にあたります。新川郡上市町眼目(さっか)の立川寺の末寺で、戦国時代には増山城(現在の砺波市にある国の史跡)の城主であった神保氏の菩提寺としても知られています。
福野町の設立から2年後、大火によって町がほとんど焼失しました。町の再建にあたり、福野町の開祖である阿蘇三右衛門翁は、承応2年(1653年)に庄金剛寺村から当時無住の寺であった恩光寺を福野へ移転しました。さらに、秋葉大権現も同時に勧請されました。毎年9月8日には秋葉祭りが開催され、火渡りの行事が今も続いています。山門は南砺市の指定文化財となっています。

徒歩2分

11:30

福野神明社

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 祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけびめ)、大己貴神(おおなむち)です。慶安5年(1652年)、町が大火でほとんど焼失した際、町の有力者たちは神仏の加護を求め、伊勢大神宮の御分霊を迎えたと伝えられています。境内には天満宮と稲荷社があり、天満宮には菅原道真公、稲荷社には倉稲魂神(うかのみたま)が祀られています。

5月1日から3日まで行われる春季例祭では、福野夜高祭や福野曳山などが開催され、毎年多くの見物客で賑わいます。

 

  「人よせ石」を探してみて!
明治末期、銭湯「平和湯」の宣伝のため、銀行四つ角で行われた盤持ち大会に使われた石。

徒歩3分

11:45

銀行四つ角高札場跡

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 この四ツ角は「卍が辻(まんじがつじ)」または「かねおりつじ」と呼ばれています。江戸時代の城下町では、敵が城下に進入する際に前方が見通せないよう、四ツ辻の設計を曲尺(かねじゃく)をずらして交差させる形にしていました。しかし、福野は城下町ではなく市場町として町が立てられたため、なぜ卍が辻の形になっているのかは謎とされています。
また、藩政時代には、掟書き(おきてがき)や法度(はっと)、禁制(きんせい)などを公衆に知らせるため、盛り場や四ツ辻に高く掲げられた板札がありました。これを「高札(こうさつ、またはたかふだ)」や「制札」と呼んでいました。

徒歩2分

11:55

旧山田邸

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 吉田鉄郎(1894~1956)は、大正から昭和初期に活躍した建築家で、逓信省に勤務し、東京中央郵便局や大阪中央郵便局などの「逓信建築(モダニズム建築)」を数多く手掛けました。この洋館は、吉田鉄郎が設計した福野に現存する3つの建物のひとつで、他には「旧梶井邸」や「旧授眼蔵図書館」があります。

徒歩2分

12:05

朝山精華堂(土産)

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

 創業江戸末期。金沢の前田家に献上していた千代の梅や人気№1のラムケーキがおすすめです。

主な取扱商品:千代の梅、ラムケーキ、上生菓子、かりんとう万頭等

詳細はこちら

徒歩2分

12:15

福野縞工房(土産)

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

 文政年間に始まった福野縞は、明治から昭和にかけて福野の経済や文化を支える原動力となりましたが、昭和50年代に一度途絶えました。現在は「福野縞の会」がその復活と伝承に取り組み、手織りによる多彩な製品を開発しています。

数百円で購入できる小物や、約2,000円のトートバッグなど、伝統の縞模様を活かした手織り商品が揃っています。

 

  基本情報

19:00~21:00(火・金のみ)
※上記以外のご訪問は、事前にお電話ください。
✆0763-22-8700

詳細はこちら

徒歩2分

12:20

西方寺 旧授眼蔵図書館

福野の歴史と文化に触れる!地元ガイドと歩くディープな街巡り

 大正8年(1919)に吉田鉄郎の設計で建てられた、町に残る3つの建築物の一つ。大正から昭和期にかけてのレトロモダンなデザインが特徴的です。当初は私設図書館として建設され、後に福野町立図書館として利用されました。事前予約で内部見学も可能です。

 

  連絡先

西方寺

南砺市福野1543

✆0763-22-2649

徒歩4分

12:30

福野駅

おつかれさまでした!
駅周辺の美味しいお食事処でランチはいかがでしょう?
ラーメン真太(駅前) 、肉処はな牛(駅前)、 味処まる嘉(駅横)

GOAL

※モデルコースの時間にかかわらず、ご都合に合わせてご計画ください。

 

  このコースは私たちがおすすめしました。

福野観光ボランティアガイド 市の里ガイド

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  レンタサイクルについて
福野駅から徒歩8分「métisse (メティス)」で貸出しています。
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